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街へ
砲弾が炸裂し、焼け残った立木を吹き飛ばした。破片が、泥や小石と一緒になってぱらぱらと降り注ぐ。
どうやら完全に囲まれたらしい。先ほどから包囲網を突破しようとして塹壕からとびたした者たちは、あるいは肉片となって、あるいは血しぐれとなって塹壕に戻ってきていた。かといって、塹壕にいても状況は変わらない。敵陣からの砲弾は撃たれるごとに正確さを増し、同士の命を確実に奪い取っていく。
「おまえ、なんでこんなところに来たんだ」
まだ26になったばかりの隊長は、東洋から来たらしい男に声をかける。いつしか周りに生きている者はいなくなっていた。
「PKOってやつですよ。平和維持活動」
「軍隊じゃないのか」
「一応、訓練は受けていますけれどね。戦闘に参加することは想定されていません」
「奇襲だったものな」
「ええ、闘うはずじゃなかったんですが」
そう言って男は胸のポケットに手を当てた。
「彼女か」
隊長の視線に気づき、男はポケットから一枚のプリペイドカードを取り出した。
「テレカですよ。なんとかここを切り抜けて静かな町に出たら、ふるさとにいる彼女に電話しようと思いましてね」
街まで行けるかどうか、隊長は危ぶんだが、口には出さなかった。
「そういえばきみの国は憲法で平和をうたっていたんじゃなかったっけ」
「よくご存じですね」男は意外そうな顔をした。「紛争解決のための武力行使は認めないってやつです。最近では平和維持のための武力行使はかまわないなんて解釈がまかり通っていて、なしくずし的に軍備増強ですよ。ぼくにはちょっと」
軽く首を振って、男はプリペイドカードをそっとポケットに戻した。そういえば男は小火器ひとつ持っていない。ああ、と声を漏らした。「彼女とコンビニにアイスクリームを買いに行きたいな」
隊長にはコンビニがどんなところか分からなかったが、きっととてもすてきなところなんだろうなと思った。
またひとつ、砲弾が落ちた。今度は逆の方向だ。やはり狙いは近づいているのだろうか。
「さて、行きますかね」
男が少し腰を浮かせた。
「行くってどこへ」
「街」
胸ポケットに手を当てた。
隊長は彼の姿を見る。泥まみれ、血塗れになっているのに、屈託のない表情。
ふと、母国で熱中していたサッカーくじを思い出した。
このゲーム、彼に賭けてみるか。そんな気になった。隊長は手にしていた連式銃を置いた。手りゅう弾もはずす。
「俺もつきあうよ」
そう言った。男はひとつ、うなづいた。二人の耳もとを、弾丸がかすめていった。
「じゃ、行きますよ」
男が先に飛び出した。
隊長が後に続く。
地平線の向こうに、カフカスの山並みが青く見えた。あのふもとに、静かな街がある。
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- カフカス
- 西アジア、カフカス山脈の南北にまたがり、カスピ海と黒海との間の地方。アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア・ロシア連邦の国ぐにが在る。コーカサス。
- しぐれ
- (1)秋の末から冬にかけて、空が一面に曇りひとしきり降ったかと思うと、またやんだりする雨。(2)細かく切ったショウガなどと一緒に煮たハマグリなどのつくだ煮。
- プリペイドカード
- 代金前払い方式の磁気カード。テレホンカード・イオカード(=JRの乗車用のカード)など。電話や自動販売機で、現金代りに使える。
作者:小橋昭彦
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