Unplugged


 ロンドンの中でもくつろいだ雰囲気で知られる居酒屋「一休」で、わたしはその若者に出会った。日ごろ使う店では取引先に会う確率が高い。一人でゆっくり飲りたかったため数年ぶりに訪れてみた、その夜のことだ。
 日本に残してきた家族のこととか、学生時代に付き合っていた子は今どうしているだろうかとか、徒然考えながらカウンターでちびちびやっていると、隣に茶髪の男が座った。
「あのう、ここで何やってるんですか」
 注文をした後、いきなり話しかけてきた。
「何って、酒を飲んでいる」
「いえ、お仕事とか」
「ああ、駐在員だ」
「虚しくないですか」
 おかしなことを言うやつだな。
「だって、日本企業の駐在員なんて野球の野手みたいなもんでしょう。本社から飛んでくるボールをさばくだけで、攻撃に回ることはない」
「そうでもないぞ、結構自由にやっている」
「じゃあ本社に指示を出すことはあるんですか」
 ふむ、なかなか鋭い。
「ぼくは、人に指示されて動く人間は、基本的にはダメな人間だと思います」
「へーぇ。それで君は何やってんの」
「今は学生です。英語学校に通っています。でも、もうすぐ自分のやりたいことをやるつもりです」
「何をやるの?」
「それはまだわかりません。まずは英語をマスターしてから、じっくり考えます。孫正義だって1年間かけて考えました。MBAを取ることだって考えていて、今調査中です」
「まずは英語、なんて言ってないで、日本に帰ってどっか就職したら?」
「日本は嫌いです。没個性で画一的で、創造力なんて皆無です。英語をマスターすれば、世界中を相手にできます」
「いやー、日本ほど面白い国はないと思うけどなぁ。ところで今いくつだ?」
「25です。もうすぐ6になります」
「英語はマスターできそうかい」
「先月TOEICで890点を取ったので、そろそろかなと思ってます。900点を超える人はほとんどいませんからね」
「TOEICか。おれは4・5年前に会社で受けさせられたが、満点だったぞ」
「えっ!」
「でもあれは会話だけだからな。本当に重要なのは書く力だ」
 やっと砂肝が来た。繁盛しているらしい。
「…そうですか、満点ですか…。でもあれですよね、人生、やりたいことをやるに限ります」
「一生かけてやりたいことがある人はいいよ。でも、長い人生にこれだけ複雑な世の中だ。やりたいことは次から次へと出てくる。人生三毛作、程度に考えておくのがちょうどいいんじゃないかな」
「三毛作…」
「おれは留学もし、外資系企業にも勤めたが、40代半ばに出会った今の会社の会長の目に掛かり、欧州の代表をやっている。一匹狼にあこがれた頃もあったが、今はチームの一員であることに心地よさを感じているよ」
「それは<逃げ>ではないのですか?」
「おれは別に何からも逃げてはいない。人と交わりながら生きていくという<選択>をしたまでだ。皆が皆独立すべきだというのは、それこそ画一的な考え方じゃないかい」
 若者は黙ってしまった。ちょっと手厳しかったかな。まあいいか、仕掛けてきたのは向こうだ。また来週もここに来てみるとしよう。安っぽい店でも、案外うまい酒の肴にありつけるもんだ。

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三毛作
一年間に三種の作物を次つぎに同じ地に耕作すること。

掛かる
(1)1.掛けられた状態になる。2.ある範囲内に届く。3.その人(もの)と何らかの交渉を持つ。4.何かに依存する。5.マイナスの交渉を何かと持つ。6.それだけの時間(費用・手間)が必要とされる。(2)(今にも)その事が実現しそうな状態にある。

野手
(野球で)内野手・外野手の総称。フィルダー。

作者:織村徹也



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