Unplugged


下弦の月

「・・・」
「・・・」
二人の出会いは、沈黙から起こったものだった。
その瞬間はまさか自分たちが、何らかのことから、いずれ引かれあうことになろうなんて思いも寄らなかったに違いない。
出会いとは二人の歩みの小序にすぎない。
そして、引かれあう事もあれば、そのまま何事もなかったかのように別々の道を歩み出す事もある。
また、出会った事さえもなかったかのように、忘れていってしまう事もある。
出会いとはそういうものだ。
どちらかが、運命と感じても、それは一方的な思いに過ぎないのであって、ゆかりの場合もそうであった。

夢の中の出会いは、フォービズム的色彩に心を揺り動かされ、一瞬、地球が大きな海に飲み込まれたかのような息苦しさの後に、その海から抜け出した開放感と高揚感に身をさらわれる。
「ねぇ。あなたは夢の中にだけしか存在しないの? それとも私と同じように、私が存在すると信じている現実という世界にも存在しているの?」
夢の中でのゆかりは、哲学かぶれのような理屈っぽさを持った言い回しで、その男にきいた。
「存在ってなんだ?」
彼の最初の言葉は、ゆかりが期待していた答えではなく、少し躊躇を覚えたが、彼の言葉に対しての答えを返さない限り、次の言葉は望めないだろうとすぐに思い直した。

「・・・存在・・・」
「そう、存在」
彼はもう一度同じ単語をリピートした。
ゆかりの頭と心では、「存在」という言葉が、何度もリフレインする。
それはまるで、海の奥を漂うクラゲのような一種の浮遊感に似ていて、太陽にさらされたクラゲのように、そのまま溶けて消えてしまったらどんなに楽かしらと思わずにいられなかった。
「・・・消えてしまえたら・・・」
その瞬間、ゆかりの中で、何かが生まれようとしていた。

「あなたは私を忘れるかしら。そして、私はあなたを忘れる事ができるのかしら。」
彼は、さっきと変わらない表情で、少しだけ目を細めて言った。

「存在しているというのは形のあるものだけじゃない」
ゆかりには、彼が言わんとしている事がはっきりと分かった。
そして、彼の中に自分がいればそれで、自分自身の存在が明らかにされるような気持ちでいる自分というものの存在がちっぽけなものに感じられた。
彼にとっての自分ではない。
自分の中で彼がどのように存在し続けるかどうかなのだ。

明け方に見た夢は忘れられないと言われている。
彼がそこにいたという事実など、始めから無かったかのように、少しづつ透明感を増してゆく。
でも、二人が出会ったという事実は存在している。
永遠に。

そうして、二人は同時に消えた。
それぞれの現実という名の付く世界に帰っていく。
ほんのりと白く、光る輪郭を残した、下弦の月が山の谷間に消えていこうとしている。

二人は再び出会う。
現実という世界の、この空の下で。
そして、二度目の出会いも沈黙から始まるのだ。

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小序
[自分の著作物に対する](短い)序文。

フォービズム
[フ fauvisme,fauve=野獣]二十世紀の初め、フランスのマチスなどが起こした絵画運動。単純化と強い色彩が特色。野獣派。

少ない
(1)同種の他のものに比べて、より小さい数量だ。
(2)その状態の存在(実現)の度合いが思ったより低い。

作者:優香



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