子どもの遊び
[今日の雑学 04.04]
ふたつの写真が並べられている(日経4月3日)。一方は昭和32年、茨城県竜ケ崎市。4人の子どもたちが棒きれを手に向かい合っている。だだっぴろい草むら。建物は見えない。枯れ木が何本か。チャンバラごっこをしているのだ。ひとりは両手に棒きれを持っている。二刀流としゃれているのだろう。
もう1枚の写真は現代の横浜市。どこかの家庭のフローリングの居間。ゲーム機のコントローラを手に、テレビに向かうやはり4人の子ども。
ふたつの写真を隔てる半世紀近い時間は、子どもの遊びを大きく変質させている。棒きれを刀に見立てる子どもたちと、あらかじめ作られた仮想世界に没入する子どもたち。
ホイジンガは人類はホモ・ルーデンスだと言った。遊戯する存在だと。原っぱを奪われ仮想世界で囲まれつつ、やはり子どもは子どもなりに遊びを探そうとしているのだろう。
そういう状況に子どもを追いやったのはぼくたち大人だ。それが良かったのか悪かったのか。ただひとつ。棒きれでの闘いは痛みを伴うけれど、ゲームの中ではいくら殴ったり血を流したりしても、痛みはない。そういう世界に子どもは遊んでいる。
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