[今日の雑学 02.14]

 美術館の中に置かれた便器。「泉」と名づけられている。そう、1917年に発表されたデュシャンの有名な作品。あのころからずっと、現代美術は日常との境界をあいまいにし、あるいは壊してきた。
 いや、そもそもアートとはそういうものだったのかもしれない。ベルリンの監視塔の上にベンツのトレードマークをつけたハーケの作品のように、それは時に現実への鋭い風刺となる。しかし、現代美術と日常の境があまりに消失してしまうことを、美術家の李氏は危ぶんでいる(日経2月13日)。
 工場や自然から引用借用した素材を利用した60年代から70年代の動き。イタリアのアルテ・ポベラや日本のもの派。そこにはまだ観賞する側とされる側の境界があった。
 近年の作品には、観客の参加を要請するものも少なくない。美術館で美容室を開いたり、客に鍵を渡してアーティストの部屋を訪ねさせたり。
 その一方で、主観性を排除したミニマル・アート。カンバスに垂直線が引かれただけのニューマンの作品のような。参加を要請はされないけれど、観客は積極的に彼の内的言語を探ろうとしない限り、作品から拒絶されてしまう。
 現代美術の問いかけは、広く深いものだと思う。



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Unplugged今日の雑学>1999.02.14