いのち
[今日の雑学 12.23]

 インベーダーゲームが大流行したのはもう20年ほど前だろうか。実際にそれに触れたのは流行が終わろうという頃、親戚近くの小さなお菓子屋さんでだった。
 衝撃的だった。自分のボタンひとつで次々に壊されていく電子的な像、その連続的な破壊がとらえきれなかった。一種のカルチャーショックだったのだろう。
 破壊、あるいは死はそれまでそんなに簡単に行われる行為ではなかった。昆虫採集や魚の解剖もしたけれど、ひとつひとつ厳粛に向き合っていくものだった。
 関西学院中学部の夏キャンプでは、食事の材料として生きた鶏を絞めてさばく(朝日12月22日)。自分たちがほかの生命の犠牲の上で生きていることを実感としてとらえ、生きるということを学ぶための教育。
 鶏の頭をたたき失神させる。ぐったりしたところで首を切る。あばれるところをしっかり握って、血を流しきる。羽根をむしる。頭を落とす。そんな光景なのだろう。批判的な声もあるという。
 ただ少なくともそこには、テレビ画面で行われる大量の破壊にはない、どこかごわごわした実感が伴っている。



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Unplugged今日の雑学>1998.12.23